小川洋子「ことり」:鳥かごの中の自由

文庫版の表紙がさらさらすべすべしていて気持ちよさそうだったから買った。

ことり (朝日文庫)

ことり (朝日文庫)

 

 人間の言葉が話せないが小鳥のさえずりがわかるお兄さんと、そのお兄さんの言葉が唯一わかる弟(小父さん)の、よくできた鳥かごの中のような暮らしの話。たとえばお兄さんは棒つきキャンデーのことを「ポーポー」という。鳩っぽい。

両親が早くに死んでしまったため、彼らは自宅でひっそりと生きる。小父さんが外で会社のゲストハウスの管理人として働く。兄の外出は、近くの薬局に行ってポーポーを買う時と、近所の幼稚園で小鳥の鳥小屋を見にいく時に限られている。後は林檎を剥いて、庭にあるバードテーブルに置いてそれをついばむ小鳥たちを眺めたり、ふたりで夕食後にラジオを聞いて過ごす。

外界からはできるだけ遮断された、静かで、居心地のよい空間だ。でも、時々外から闖入者がやってくる。近所で幼児へのいたずら事件が起きると、不審者だと思われて疑われたりする。誰にも(できるだけ)迷惑をかけず、小鳥の声を聞いて暮らしているだけなのに、どうして外から見るとよくわからなくてうさんくさくなるんだろうと思う。少し冷たい風が心の中をすっと通る。

彼らは旅行だって、完璧な行程と完璧な荷造りをした時点で完結する。荷物をつめたボストンバッグのファスナーも、スルスルと気持ちのよい音を立てて閉まるぐらいだ。

居間の床に広がる品々が、お兄さんの手から一個ずつボストンバッグの中へ消えてゆくのを眺めるのが、小父さんは好きだった。お兄さんの手つきを見ていると、自分たちの旅が安全で、自分たちのいる世界が平穏であると確かめられる気がした。 

実際のところ、近所にこういうおじさん二人がいたら、やっぱり少し警戒しながら、距離を置いてしまうだろう。社会の流れが早すぎて、彼らのような人たちはあっという間に濁流に飲み込まれ、見えなくなってしまう。異物感だけ残る。

でも、同時にそういう人たちや対象を大事にしたいとわたしはどこかで思っている。明確には思い出せないけど、遠い記憶のどこかに、彼らがいた気がする。あるいは過去の自分の中に。大人になる時に捨ててきた、手のひらで何度も撫でた宝物に。おじさんたちは単なる社会のアウトサイダーではない。本当は、彼らのことを胡散臭く思う人もそうでない人も、みんな心のどこかでよく知っているのだ、小父さんのような人たちのことを。

お兄さんがいなくなって小父さんがひとりになると、少しずつ歯車が狂っていく。平和だった世界に混乱が生じる。でも、不器用な小父さんなりに戦ったり抵抗したりして、守るべきものを守ろうとする。そして魂の解放がなされる。ラストで良かったなあ、と思って、不意に泣きたくなった。

お兄さんの言葉が分かったのと同じように、小父さんにはメジロの言っている意味が分かった。あらかじめ小父さんの中に用意されていた場所へ鳴き声が届き、約束の通りそこへ収まって、何の無理もなかった。 

 小川洋子氏の著作は初めて読んだが、すっきりとした文章と、ディティルの積み重ねが心地よく読みやすかった。あと何故か忘れていた過去の記憶が呼び起こされる効果がある。不思議といやな感じはしない。