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シベ鉄ロシア旅0日目:準備など

シベリア鉄道がおりてきた

11月に鉄道の旅について絵の展示をすることになり、わたしはモチーフとなる列車や路線を探していた。個人的なテーマに一番合致しているのは夜行列車だけど、JRの夜行列車廃止のニュースを相次いで聞いていて、もはや日本の長距離列車に興味がわかず、じゃあ長距離長大路線って言ったら…という単純な連想ゲームでうっかり「シベリア鉄道」を検索してしまった。そしたらめちゃくちゃ面白そうなのである。なので思い切って乗りに行くことにした。会社員なので7泊8日かかるウラジオストク-モスクワ間ほぼ完乗は無理だけど、途中下車すれば3泊4日の乗車などでもいけるようなので、勢いで航空券を予約してしまった。費用の関係で、シベリア鉄道はモスクワ→イルクーツクという東行きのコースとなった。

鉄道チケットはロシア鉄道のwebサイトでゲットした。(日本語ならRussian Trainsが見やすいがロシア鉄道サイトよりちょっと高い)一時期はクレジットカード決済ができなかったようだが、現在では日本のカード、VISAで問題なく決済できる。アカウントを新規登録する際に、個人情報は厳密に保護されないよ?みたいな脅し文句が出るが、おそらくロシアの場合、ネット上の個人情報は国家的に利用されまくっている予感しかしないので、諦めてスルーした(念のためクレカは小額決済用のデビットカードにしてるけども)。。
ちなみに座席はプラッツカルタと呼ばれる、一番安い3等寝台、いわゆる開放寝台にした。日本の代理店に取ってもらうと、防犯などの理由から3等は取ってもらえないようだ。

準備と必要なもの

日本人のロシア旅行を困難にしているものの一つに、ビザがある。2016年9月時点で、ビザがないとロシアには入国できない。しかも、観光ビザの取得時に、滞在日・日程・現地滞在先を記載した「バウチャー」と呼ばれる書類が必要なのだ。これは滞在先に発行してもらうものであるため、自由旅行は基本的にできないことになっており、通常は旅行代理店やツアーから申し込むようだ。

しかしながらネットで調べてみると、「空バウチャー」なるものを発行してくれる現地旅行代理店があり、そこでバウチャーを発行してもらえば実際の滞在先に発行してもらわなくても大丈夫なようなのだ。色々調べた結果、自力申請した人が皆使っていたTravelRussia.suというサイトで必要事項を入力し599RUB支払うと、確かにあっけなくバウチャーが PDFで生成された。(滞在先・日程は仮のものにしておいて、実際はその通りに動かなくてもOKみたいなのだけど、わたしは念のため先に宿泊先を決め、実際の行程で申請している。)

このバウチャーに記載されている内容を元に、ロシア大使館のwebサイトからビザ申請申込みを行い、出力した申請用紙とパスポートを握りしめ、会社の休みを取って、神谷町のロシア大使館に出向く。現地はものものしい雰囲気だった。大使館の四方を警察車両が取り囲み、ビザ申請に並ぶ人々を警察官がじっと見つめている。なんだかとんでもないところに行くような雰囲気だ。建物内部もなんだか薄暗くて、無機質な四角い空間に窓口が2個あるだけだ。写真貼り付け用のスティック糊は2個あったがどちらも中身がからだった。窓口のキリル文字がすでに読めない。周りの代理店らしき人々に紛れてよくわからないなりに書類を差し出すと、金髪碧眼のお兄さんがにこりともせず受け付けてくれた。日本語で急ぎでないか聞かれ、約2週間でできあがる通常コース(無料)にした。そのまま帰ろうとしたが呼び止められ、薄くて黄色い紙を渡される。これが引き換え証みたいだ。ロシア人、怒ってるように見えるけどそうでもない…のかな。

帰り道、書店に寄って、ロシアのガイドブックが事実上、「地球の歩き方」しかないことにびっくりした。(モスクワ・サンクトペテルブルクだけなら「るるぶ」があるけど)

2週間後のビザ受取りではおばちゃんに無言でパスポートを渡される。ビザ申請の内容に間違いがないかチェックし、写真がついてないので聞くとそれで大丈夫という、本当なのか。モスクワの空港の入国審査でダメって言われたらいやだなあ…。(※大丈夫でした)

怖いやめたいでも行きたい

改めて外務省の海外安全情報サイトで ロシアを見ると、ものすごく怖い国みたいに書いてある。テロはあるし、治安は悪いし、チェチェンとは紛争しているし。なんだかとんでもないことをしようとしている気がしてきて、行きたくなくなってきた。でも往路航空券はキャンセル不可だし、ビザやバウチャーを発行してから中止にしていいかもわからない。不安な気持ちを抱えながらもさらにネットで調べてみたら、なんだか現地滞在の人や旅行者はわりと普通のテンションでいるようだ。まあ気をつけていれば普通に旅行はできなくないかも??と思って、出発までにロシア国内でテロが起きたら中止するということにし、準備は進めることにした。

いよいよ、ロシアがわからない。あんなに近い国なのに。でも明らかな危険地帯などで行くだけで迷惑をかけてしまう場所でもない限り、テロの発生可能性を理由として旅行を止めることはしたくなかった。それこそが、テロリストたちの思うツボなのではないだろうか。グローバリゼーションの断絶、多様性の否定。外から見て、いくらよくわからない国だったとしても、その地で普通に生活が営まれ続けている限り、そこにはいろんな人がいて、行く価値がないところなどないのではないかと個人的に思っているからでもある。

黒柳徹子「トットチャンネル」:テレビの歴史を生きる

彼女の書く文章の、つんのめるような独特のリズムが好きで、「窓ぎわのトットちゃん」は小さい頃からなんども読んだ。そんなことを思い出して、ドラマ化による満島ひかりの帯がかかっているこの新装版文庫を手に取った。

トットチャンネル (新潮文庫 く 7-2)

トットチャンネル (新潮文庫 く 7-2)

読んでみると、あのリズムはそのままに、彼女らしい素っ頓狂なエピソードがたくさんで読みやすく面白い。昔のテレビの現場は試行錯誤ながら本当にムチャクチャで、今だったら速攻で「放送事故」とかいってまとめサイトのネタになっちゃうようなものばかりだ。

しかし、最後に新装版文庫の解説と筆者のまえがきを読んでみたら、なんだか感傷的な気持ちにおそわれた。本編が書かれたのは今から32年前、その時点でも昔を懐かしんでの話なのに、現代から見たら日本のテレビの創生期なんて伝説みたいなレベルの回想になる。
その中で、黒柳徹子さんはずっと現役を走ってきた。この本の中に出てくる温かい大人たちは殆ど亡くなり、彼女自身が生きる歴史みたいになって、のこされたものとして、日本のテレビ放送が開始された約60年前から現代までをまえがきで振り返る。
私は、テレビジョン、という響きが今でも好きだ。見ている人が少ない、ということは、まだ視聴率も問題にされなかった。何かを言って、問題にされることもなかった。思えば、窮屈なところがおよそない、自由な時代だった。
撮影現場でエキストラ役をうまくやれず、怒鳴られ追い出された爺さんの老いをいたんで泣きじゃくっていた若い彼女が、数十年後、テレビの歴史をある種の痛みをもって振り返るだなんてこと、誰が想像しただろうか?

本屋と読書について

高田馬場にある芳林堂書店、破産申請のニュース。「またか…」と思ってショックを受けた。

芳林堂も破産、書店閉店が止まらない日本--書店復活の米国との違いとは? - CNET Japan http://japan.cnet.com/sp/t_hayashi/35078425/ 

本を読むのが楽しい

 今さら読書がブームだ。本を読むのが楽しくて、スタンフォードの人生を変える自己啓発書からロシアの不倫小説まで、往復1時間弱の通勤時間を使い、1週間1冊のペースでわくわくと読んでいる。こんなに楽しくなったのは、いままでと少しやり方を変えたからだ。

読みたい本だけ読む

「これは最低でも読むべき」や「常識として読んでおかないと」とかそういうのは忘れて、その時読みたいなーと思った本を、どんなにくだらないように見える本でも思い切って買う。当たり前といえば当たり前なんだけど。

本屋に行って買う

自分が本当に読みたい本は、本屋に行って実際に眺めたほうがわかりやすい。店員のおすすめ、面出しされている表紙や帯、ドラマや映画の原作、この前誰かがおすすめしていて読みたかった本、など記憶や色んな情報と混ぜつつ、店内をフラフラしたり手に取ったりして、しっくり来る一冊を決める。いいのがあったら出だしを読んで、面白ければ買う。読みたい本をメモしておいてもいいけど、必ず触って中身や手触りを確認する。(犬が初めての食べ物に対してくんくんする感じに近い)

この「しっくり感」がたくさん発生する本屋は自分に合っているということだ。通うべし。個人的なお気に入りは神保町の東京堂書店千駄木往来堂書店なんかで、規模こそ大きくないものの、本のセレクトと見せ方が絶妙なため欲しい本がいつも何冊か見つかる。

何冊も買わない、読み終わったら次の本を買う

技術書や仕事の本でもないかぎり、いわゆる「積ん読」をしない。読まなければ、という義務感は読書をつまらなくする。読み終わったら次の本が欲しくてたまらなくなるぐらいがいい。逆に読んでる本がつまらなくて進まなくなったら読むのをあっさりやめる。また、一冊読み終わると連想ゲームみたいに次の読みたい本が出てくる時がある。そういうのを逃さないようにする。

お気に入りの読書お供グッズを持つ

自分読書における三種の神器がある。ブックカバー、ふせん、読書記録しおりだ。

ブックカバーは実家の押入れに眠っていた、バーバリーの文庫版のやつだ。手になじみすぎて撫でさすり続けたい。モモンガ状のブックカバー「ホホンガ」もやや色あせたが悪くない。
ふせんは半透明の coco fusen(ココフセン)。本に挟んで好きなフレーズに貼る。読んだ本のことをすぐに忘れるので、こちらのブログ「アナログ読書管理について効果とツールを振り返り。 - 青猫文具箱」で紹介されていた「Beahouse 読書記録しおり ワタシ文庫」を買った。読んだ本も読み終わらなかった本も書いておく。感想書く欄が控えめなのがいい(笑)。

なくなると困るので今日も本屋に行く

電子書籍もたまに読むけど、書籍で読むのと比べて脳内に残るものが少なく感じてメインにはしなくなった*1。これだと暇つぶしに携帯でネットサーフィンするのとそんなに変わらない。

というわけで、こういう読み方をしているわたしにとって、本屋がなくなるのはいち大事だ。特に高田馬場の芳林堂書店は22時近くまでやっていて、古めかしいトイレがあって、旅行本と人文系・専門書が充実していて、静かで好きだった。行けばなんとなく長居してしまう本屋だ。

幸いにして東京に住んでいるため大型書店もたくさんあるし、TSUTAYAブックファーストもよく行くけど、売れ筋だけじゃない本を置く本屋は貴重な存在なのだ。自分の意識できないところで必要としているものを発掘する作業ができるからだ。

ただ、今回の倒産は売り上げだけじゃなくて日本独自の出版流通の問題も絡んでいたりするようで、個人でたくさん本を買う以外にどうにかならないのかしらと思う。思いつつ、芳林堂書店をこそっと覗いて、また何か読んで、また何かしら書くしかないのかな。

*1:古いけど関連した研究もあった:書物は手からも“読んで”いる? 電子書籍と紙の違いを研究 - ITmedia eBook USER http://ebook.itmedia.co.jp/ebook/articles/1408/27/news021.html

小川洋子「ことり」:鳥かごの中の自由

文庫版の表紙がさらさらすべすべしていて気持ちよさそうだったから買った。

ことり (朝日文庫)

ことり (朝日文庫)

 

 人間の言葉が話せないが小鳥のさえずりがわかるお兄さんと、そのお兄さんの言葉が唯一わかる弟(小父さん)の、よくできた鳥かごの中のような暮らしの話。たとえばお兄さんは棒つきキャンデーのことを「ポーポー」という。鳩っぽい。

両親が早くに死んでしまったため、彼らは自宅でひっそりと生きる。小父さんが外で会社のゲストハウスの管理人として働く。兄の外出は、近くの薬局に行ってポーポーを買う時と、近所の幼稚園で小鳥の鳥小屋を見にいく時に限られている。後は林檎を剥いて、庭にあるバードテーブルに置いてそれをついばむ小鳥たちを眺めたり、ふたりで夕食後にラジオを聞いて過ごす。

外界からはできるだけ遮断された、静かで、居心地のよい空間だ。でも、時々外から闖入者がやってくる。近所で幼児へのいたずら事件が起きると、不審者だと思われて疑われたりする。誰にも(できるだけ)迷惑をかけず、小鳥の声を聞いて暮らしているだけなのに、どうして外から見るとよくわからなくてうさんくさくなるんだろうと思う。少し冷たい風が心の中をすっと通る。

彼らは旅行だって、完璧な行程と完璧な荷造りをした時点で完結する。荷物をつめたボストンバッグのファスナーも、スルスルと気持ちのよい音を立てて閉まるぐらいだ。

居間の床に広がる品々が、お兄さんの手から一個ずつボストンバッグの中へ消えてゆくのを眺めるのが、小父さんは好きだった。お兄さんの手つきを見ていると、自分たちの旅が安全で、自分たちのいる世界が平穏であると確かめられる気がした。 

実際のところ、近所にこういうおじさん二人がいたら、やっぱり少し警戒しながら、距離を置いてしまうだろう。社会の流れが早すぎて、彼らのような人たちはあっという間に濁流に飲み込まれ、見えなくなってしまう。異物感だけ残る。

でも、同時にそういう人たちや対象を大事にしたいとわたしはどこかで思っている。明確には思い出せないけど、遠い記憶のどこかに、彼らがいた気がする。あるいは過去の自分の中に。大人になる時に捨ててきた、手のひらで何度も撫でた宝物に。おじさんたちは単なる社会のアウトサイダーではない。本当は、彼らのことを胡散臭く思う人もそうでない人も、みんな心のどこかでよく知っているのだ、小父さんのような人たちのことを。

お兄さんがいなくなって小父さんがひとりになると、少しずつ歯車が狂っていく。平和だった世界に混乱が生じる。でも、不器用な小父さんなりに戦ったり抵抗したりして、守るべきものを守ろうとする。そして魂の解放がなされる。ラストで良かったなあ、と思って、不意に泣きたくなった。

お兄さんの言葉が分かったのと同じように、小父さんにはメジロの言っている意味が分かった。あらかじめ小父さんの中に用意されていた場所へ鳴き声が届き、約束の通りそこへ収まって、何の無理もなかった。 

 小川洋子氏の著作は初めて読んだが、すっきりとした文章と、ディティルの積み重ねが心地よく読みやすかった。あと何故か忘れていた過去の記憶が呼び起こされる効果がある。不思議といやな感じはしない。